其の九百八拾五
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2010年08月07日 土曜日 アップ日 2013年08月30日 金曜日 |
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温見峠は古来、越前から美濃、あるいは鎌倉を結ぶ最短ルート。
油坂峠と同様、戦国時代は朝倉勢や織田勢の攻防の舞台。 江戸初期には福井藩が4キロ北の蝿(這)帽子峠(標高987メートル)とともに関所を設けた。 その後、幕末から近代にかけての濃越往来は蝿帽子峠越えが主で、 幕末の水戸天狗党の武田耕雲斎一行約800人も雪中、温見峠でなく蝿帽子峠を越えている。 福井県鯖江市誠照寺の美濃檀家周りも多くは蝿帽子を通ったようだが、 1974年に温見峠越えの自動車道が県によって開削され、翌年、国道に昇格すると間道だった温見越えが本道になった。 豪雪地だけに冬は通行止め、それ以外にも時々不通になるが、それだけに通行可能時は意外に車が多い。 しかしすでに1963年の38豪雪や65年の豪雨災害、それに社会の変化によって美濃側最奥の大河原の住人は今や一人だけ。 越前側最奥の温見、熊河(くまのこ)、蝿帽子峠下の秋生も廃村となり、樹林の山旅人に峠の今昔を語る人も姿を消して久しい。 (岐阜新聞Webより) 行け行け~CCC(CHICKEN-CLIMBERS-CLUB・チキンクライマーズ倶楽部) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい) やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
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