古/いにしえの面影       其の九百六拾八

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2008年11月28日 金曜日
アップ日  2013年07月31日 水曜日
大阪府大阪市天王寺区堂ヶ芝(豊川稲荷別院)

豊川稲荷(とよかわいなり)は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院。
正式の寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。
詳しくは「円福山 豊川閣 妙厳寺」(えんぷくざん とよかわかく みょうごんじ)と称する寺院である。
境内に祀られる鎮守の稲荷(吒枳尼天)が有名なため、一般には「豊川稲荷」の名で広く知られる。
豊川稲荷は神社ではないものの、商売繁盛の神として知られており、境内の参道には鳥居が立っている。
また、日本三大稲荷の1つとされる。
北海道・東京都・神奈川県・大阪府・福岡県に、別院を持つほか、修行道場として僧堂を設置している。
豊川高等学校を運営。

(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


路地抜けようとして~
鳥居が…





※社殿

明治期の
お百度石



安永期の鳥居

※銅張りの賽銭箱
頑丈な門

狐ではなく狸?



石燈籠



明治39年銘

※東京市から~

手水鉢

※堂ヶ芝廃寺

 大阪は古代において東アジアの諸外国に向けた外交の窓口であり、6世紀半ばに伝来した仏教文化の受容の最先端地域でもあった。中国や朝鮮からの渡来人たちの力を中心として、はやくから大阪の地に四天王寺をはじめ多数の寺院が建立されたと考えられている。「日本書紀」「扶桑略記」「日本霊異記」などの書物にみられる大別王寺(おおわけおうじ)や百済寺はその代表的な寺院である。前者は日本から百済への使者である大別王が建てた寺とも住んだ寺ともいわれ、
後者は百済王氏の氏寺ともいわれる。
堂ケ芝の地と周辺から古代の瓦片は多数出土しており、古代の寺院跡と推定されている。かつて巨大な塔心礎も残っていた。この地を大別王寺や百済寺の跡と考える説もある。


※石畳は境内
長屋に続いています。
(参道ですよね)

瓦が出土したんですって。

※本家ポスター

石碑



明治期の敷石なんですね。



敷石好き!



眷属は狐!

※大きい!

見上げて~



神仏習合


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.