古/いにしえの面影       其の九百六拾弐

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2013年07月11日 木曜日
アップ日  2013年07月26日 金曜日
奈良県大和郡山市横田町(和爾下神社)

延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、
または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。
本来「神名帳」とは、古代律令制における神祇官が作成した官社の一覧表を指し、官社帳ともいう。
国・郡別に神社が羅列され、官幣・国幣の別、大社・小社の別と座数、幣帛を受ける祭祀の別を明記するのみで、
各式内社の祭神名や由緒などの記載はない。延喜式神名帳とは、延喜式の成立当時の神名帳を掲載したものである。
延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2861社であり、そこに鎮座する神の数は3132座である。

式内社は、延喜式が成立した10世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた神社であり、
その選定の背景には政治色が強くみえる。
当時すでに存在したが延喜式神名帳に記載がない神社を式外社(しきげしゃ)という。
式外社には、朝廷の勢力範囲外の神社や、独自の勢力を持った神社(熊野那智大社など)
また、神仏習合により仏を祀る寺とされた神社、僧侶が管理した神社(石清水八幡宮など)、
正式な社殿がなかった神社などが含まれる。
式外社だが六国史に記載がある神社を特に国史現在社(国史見在社とも)と呼ぶ(広義には式内社も含む)
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


東西に走る竜田道(治道)
昔はもっと狭くて
自動車の往来に手間が掛かりました。

※向こうに森が見えて来ました。

瓦の倉庫だったと…

※式内 和爾下神社
和珥氏(わにうじ/し)は、「和珥」を氏とする氏族。
5世紀から6世紀にかけて奈良盆地北部に勢力を持った古代日本の中央豪族である。
和珥は和邇・丸邇・丸とも。
6世紀頃に春日山山麓に移住。(春日和珥臣)
(Wikipediaより)


下治道社銘の燈籠

※手水舎

ん?明確な盃状穴

※作りかけ(?)
や、これ以上は無理!状態のものも。

凄く深く~

※ギリギリまで~

南向いた八幡神社のような
作業場付き拝殿

※多くの境内摂社



※吽

尻尾も~



他にも境内摂社
春日神社・天照大神社…

※奉納絵馬

献灯

※残念な絵馬

本殿舎



本殿舎から拝殿社見て~

※お正月や祭りの時期には
社務所の代わりをするんでしょうね。

こちらも~

※石燈籠に~

浅い盃状穴

※手水鉢は深すぎ!


竜田道(治道)

※路地も

創立25周年記念
横田青年団
国旗掲揚台ですかね。

※道路脇に~

南に向けて~

気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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