古/いにしえの面影       其の九百弐拾壱

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年10月09日 土曜日
アップ日  2013年06月24日 月曜日
京都府亀岡市曽我部町中(與野神社)
 
彼岸花の季節
でも、一日雨です~
雨女の家内と…

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


山裾に~

※茅葺屋根見っけ!
彼岸花も~

田の畦に彼岸花の季節~

※雨が降る。。

家を固めたような建て方。

※ビショビショの道路に
赤い赤い彼岸花咲いて。。

※郷社 與野神社

與野神社(延喜式内社)曽我部町寺
祭神として事代主命(えびすさん)建御名刀命(諏訪さん)
天照皇大神(お伊勢さん)天児屋根命(春日さん)の四神を祀る。
諸国鎮座神秘抄によると奈良時代に四道将軍丹波道主命を国家の平和鎮護の為祀った
与能神宮寺が起源とされ現御旅所を中心に曼荼羅堂、講堂等寺区全域に伽藍を誇り皇室の崇敬篤く
口丹波南部の中心として隆盛極めたが、鎌倉期以後兵火にあい消失した。(礎石・古瓦が現存)
また「谿端與能宮旧記」によると、空海が嵯峨天皇の命により神宮寺を開き
奥院露堂で護摩修行を行い、後嵯峨天皇の代に村山・与能など八庄を神領として寄進を受けたとされる。
立派な彫刻の在る本殿は三間社流造りで現存する慶長8年(1603年)の棟札によると
社殿が文応元年(1260年)に建立され、慶長元年(1596年)の地震(伊予国M7.0)により倒壊し、
慶長8年に再建された事がわかる。
現在の本殿は正徳4年(1714年)に改修されたものと考えられる。
境内には応永21年(1414年)の銘の在る石燈篭があり、
境内摂社の百太夫社は芸能の神として、其の方面の崇敬を集めている。
(看板より) 

 郷社より
式内社と書かなかったんですね。

※応永21年(1414年)の銘の在る石燈篭

屋根付き扁額
注連縄

※絵馬堂


傘の部分が欠けてます。
何度かの地震で倒壊したんでしょうか?



綺麗な木彫
丹波宮大工のニヤリが~

※透かし彫りも~

紅葉狩りでしょうか?

神殿床下は叩きです。

※雨音だけが響きます。

3間社流造
堂々と~

※社紋


献灯も多く~

※絵馬には気が付きませんでした。
拝殿でしょうかね?

摂社 祇園社

※摂社二社

乾天満宮

 祭神 猿田彦命

※芸能の神とも

 稲荷社

 摂社

※大きな
杉の木

 稲荷社の燈籠

※駐車場と心学の道

 共生の理念
世間の有様を見れば
商人のように見えて盗人有り
■の商人は先も立、
我も立つことを思うなり。
紛れものは人を騙して、其座をすます
是を一列に伝うべきにはあらず。
石田梅岩(江戸時代の心学の祖)
「都鄙問答」

※JR亀岡駅から
此処が半ばで
東別院の石田梅岩先生生家まで~
一度、歩いてみよう~
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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