其の九百拾四
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2008年02月11日 月曜日 アップ日 2013年06月21日 金曜日 |
||||||||||||
波々伯部神社から東方へ約1500メートルほど行くと飛曽山峠にかかるが、
それを越した小野新あたりに、平安期に制定された『延喜式』による 山陰道の小野駅家があったとされている。 小野は、古くは小野氏の領地で、文永年間(1264~75)ごろは近隣の 5、6ヶ村とともに小野荘として、京都加茂社領であった。 古代の30里(約16キロメートル)ごとに、 37の駅、230頭の駅馬、75頭の伝馬が置かれて、8カ国の国府と都を結んでいた。 丹波国には駅馬が大枝、野口、小野、長柄、星角、佐治に各8頭。 丹後への支路駅の日出、花(前)浪に各5頭、 伝馬が桑田、多紀、氷上郡に各5頭が置かれていた。 駅には駅戸・駅田があり、駅長が統轄し、官用の駅使などのために、 休息、宿泊や乗り継ぎ等の便宜を図っていた。 付近の二ノ坪という地名は、 馬糧地の1の坪、2の坪、3の坪の名残との説もある。 また、このあたりを馬継郷と言ったが駅伝制からとった名称と思われる。 (篠山市HPより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい) 気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで! いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
|