東を目指して~
※キョロキョロしながら~
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臥龍山荘
臥龍山荘は、肱川随一の景勝地に臨む三千坪の山荘で、
臥龍院・不老庵・知止庵の三建築は、
それぞれ数寄をこらした逸品揃いです
(大洲市観光HPより)
※私は、此の井戸が気になって。。。
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※気になる路地~
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肱川がS字に曲がっています。
※明治期の町並みを求めて~
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木製の戸が良いですなぁ~
※台風等の来襲は少ないものの、肱川は下流で狭まっていることから、
大洲盆地でボトルネックとなり、大雨が続くと増水しやすく、
過去に何度も浸水被害に見舞われている。
(大洲市観光HPより)
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伊予灘に注ぐ肱川の中流域の地域
鵜飼も有り、綺麗な肱川の堤防は、大洲城の城郭の一部のような意匠です。
向こうの丘の上に天守閣は鎮座しています。
のんびりとした時の流れの中に、子供たちの野球の声が響いていました。
※大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国の守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)が始まりといわれています。
激動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となりますが、
このころ4層4階の天守を中心とした本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。
元和3年(1617)米子から加藤貞泰が入城しました。
以後、明治維新を迎えるまで加藤氏が6万石の城主としてこの地を治めました。
明治維新後、幕藩体制が崩壊し、明治21年(1888)には天守も取り壊されました。
しかし、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。
城跡も県史跡に指定され今日も大切に保存されています。
4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形(ひながた)」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な史料をもとに
平成16年(2004)に木造で復元したものです。重要文化財の台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結し、
複合連結式天守と呼ばれる構えを成しており、これら全ての建物を観覧することができます。
(大洲市観光HPより)
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水門も意匠が…
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石畳が蓋か?
グレーチングが蓋か。。
※コナレテいますな!
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ポコペン横丁の一齣。
竹馬掛の
「一流メーカーのラジオ月賦販売」が気になります。
※レンガ倉庫も~
思い出倉庫だそうです。
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ポコペン横丁看板
※赤煉瓦館の裏側
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古い町並みも~
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おはなはん通りも近くに…
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タバコ・切手・化粧品~
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旅館も~
※空き地が悲しい~
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サイディングかなと思えば…
※立派な木造家屋
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窓枠が良いですね!
※眼科さん
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稲荷社が~
※手水鉢
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狛犬替わりの
※眷属様
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可愛い社殿です。
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むむむ…
曰く有りげな~建物
※大洲小学校
明治5年開校
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※道具屋サン?
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天守閣に守られて~
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籐樹先生銅像道
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大洲市民会館
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大津街道
※国道56号を~
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