古/いにしえの面影       其の九百八拾八

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2010年09月02日 木曜日
アップ日  2013年08月31日 土曜日
大阪府守口市寺方元町(産須那神社)
地名の由来として、豊臣秀吉による大坂城築城に伴う「まもり口」が転じて「守口」となったとするのは俗言である。
昭和38年発刊の守口市史(本文編第1巻)によれば室町期には既に下仁和寺庄森口/守口村と2つの表記が存在しており、
初期は前者の表記が多く見られる。同書は守口周辺から生駒山地(特に飯盛山)へ広がっていた
原生林の入り口の意から生じた「森口」が、石山本願寺/大坂城との関係で軍事的意味の「守口」に変化したと結論している。
ちなみに、大坂城築城に伴って設けられた京街道のまもり口は「関目の七曲」(現:大阪市城東区)がよく知られている。
守口大根、守口漬という大根や漬物があるが、それらは現在の守口の名物ではなく、愛知県(名古屋市など)で作られている。
しかし、守口大根という名前は、江戸時代、河内国守口(現在の大阪府守口市)附近で栽培されていたことからきている。
長さ1メートル以上にもなる特殊な大根が守口大根の前身とされている。天正13年(1585年)、豊臣秀吉が守口に休息した際、
その風味を賞讃し、土地の名前を取って守口大根と命名されたと言われている。
最近では市が、守口大根をご当地守口市の名産品として育てるべく、市内農家と連携協力している。
(Wikipediaより)


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元水路のような~

農家の風情があります。

※路地も~

焼き板も~



家庭農園?
守口大根は~?
此処ではなさそう。。。

※家屋前の石は~

立石は?

※街道の風情も~

路地から…

※神社の楠で一服

産須那神社到着

※大きな楠

菅原道真公が御祭神
佐太神社との御関係?

※境内風景

表は村中道

手水舎

※拝殿正面

撫で牛

※脇の稲荷社
 
脇の道

※農家の面持ち

神社の裏道

※土蔵も見えます。

長屋も~

※東向いて~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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