古/いにしえの面影       其の九百五拾六

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2013年07月11日 木曜日
アップ日  2013年07月25日 木曜日
奈良県大和郡山市新庄町Ⅰ(素盞嗚神社)

奈良盆地北部に位置し、佐保川や富雄川が南流している。
市域は概ね平坦だが、富雄川以西では矢田丘陵が広がるため起伏が大きくなっている。
また市内には池が数多く見られるが、これはため池や金魚の養殖池として用いられていたものである。

古くからの市街地は近鉄郡山駅やJR郡山駅周辺に広がり、現在でも細かな路地が入り組んでいる。
佐保川の東側の稗田集落は、中世的な環濠集落の姿を留めていることで知られている。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


見返れば
大きな樹が三十八神社

※左に曲がれば~
ん?近い!

何の樹やろか?
欅??

石燈篭は
牛頭天皇社銘
素盞嗚神社さん
同じ町内に2社?と思えば、
違う町名とか。。市も~

※お寺のような~

西向きの拝殿社
前から見たら神社に見えます。
此の地区オースドックスな狛犬

※手水鉢

片袖の作業場
赤鳥居

※本殿舎正面から

神社周辺

※コナレタ家屋門

左は神社
周りは氏子さん?



本殿舎すぐ裏なんですね。



師如来の垂迹であるとともに、スサノオの本地とされた。
現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。

『祇園牛頭天王御縁起』によれば、本地仏は東方浄瑠璃界の教主薬師如来であるが、
かれは12の大願を発し、須弥山中腹にある「豊饒国」(日本のことか)の武答天王の一人息子として垂迹し、すがたを現した。

太子は、7歳にして身長が7尺5寸あり、3尺の牛頭をもち、また、3尺の赤い角もあった。
太子は王位を継承して牛頭天王を名乗るが、后をむかえようとするものの、
その姿かたちの怖ろしさのために近寄ろうとする女人さえいない。
牛頭天王は酒びたりの毎日を送るようになった。

3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩りに連れ出すが、そのとき一羽の鳩があらわれた。
山鳩は人間のことばを話すことができ、大海に住む沙竭羅龍王の娘のもとへ案内すると言う。
牛頭天王は娘を娶りに出かける。

旅の途次、長者である弟の古単将来に宿所を求めたが、慳貪な古単(古端、巨端)はこれを断った。
それに対し、貧乏な兄の蘇民将来は歓待して宿を貸し、粟飯をふるまった。
蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民にさずけ、蘇民は富貴の人となった。

龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙竭羅の三女の婆利采女を娶り、8年をそこで過ごすあいだに七男一女の王子(八王子)をもうけた。
豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属をさしむけ、古単への復讐を図った。
古端は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させたが
法師のひとりが居眠りしたために失敗し、古単の眷属五千余はことごとく蹴り殺されたという。
この殺戮のなかで、牛頭天王は古単の妻だけを蘇民将来の娘であるために助命して、
茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ
末代までも災難を逃れることができる」
と除災の法を教示した。

(Wikipediaより)

※地蔵様が入っていた?

この石材は?

※神宮寺でしょうか?

治道農協
大和郡山市発志院町

※鰯の頭も~信心から。。
これも好きですねん。

犬避け~

※綺麗な屋門

街道でしょうか?

※曲がり角

名阪国道で分断されたような地区。


気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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