古/いにしえの面影       其の九百参拾五

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2008年01月04日 金曜日
アップ日  2013年06月28日 金曜日
神奈川県横須賀市本町ドブ板通付近(街角アート)
 
どぶ板通り(どぶいたどおり)とは、神奈川県横須賀市中心部にある全長300m程の通り
・商店街である。スカジャンの発祥地として有名。

戦前、この通りには道の中央にどぶ川が流れていたが、
人やクルマの通行の邪魔になるため海軍工廠より厚い鉄板を提供してもらい、
どぶ川に蓋をしたことから「どぶ板通り」と呼ばれるようになった。
その後ドブ川・鉄板ともに撤去された。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


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ドブ板に
鉄人28号
神戸でも

※赤い柿
赤い鳥居
祠が見当たらない~

ドブイタ名前を冠に~
前にも

※更地(コイン駐車場)が目立ちます。
米が浜通りとも言うんですね。

ビール乾杯!

※スカジャン屋さん
第二次世界大戦後間もない頃、横須賀米軍基地で日本駐留のアメリカ軍兵士達が記念として鷲・虎・龍などの
オリエンタル柄や自分の所属していた部隊や基地などのエンブレムをデザインした刺繍を
テーラーショップにオーダーしたのが始まり。
最初期のものは米兵が各々持ち込んだ落下傘の生地(当時はシルク)を染色し、
ジャンパーに仕立てた後、刺繍職人が希望の刺繍を施す完全オーダー品であった。

戦後、アメリカ軍兵士たちの間では、
お土産物のジャケットを意味する「スーベニールジャケット」「スーベニアジャケット」などの呼び方で親しまれた。

1960年代頃から「スーベニールジャケット」は「スカジャン」と呼ばれるようになった。由来については以下の2つがある。
・「横須賀ジャンパー」の略
・横須賀のジャンパーによくスカイドラゴンの刺繍が施されていたことから、スカイドラゴンジャンパーの略

なお定番の鳥の刺繍は、鷲なのか鷹なのかで議論になることもあるが、
横須賀の老舗ショップでは一般的に「鷹」と呼ぶ。
(Wikipediaより)


元海岸渕の段丘でしょうね。
下の空間は防空壕の名残?

※タイルの柱が気に成ります。
隣は肖像画(似顔絵)屋さん
店を構えた当時は朝鮮戦争が勃発していた時代。
その頃のお客さんは決まって米兵で、米海軍の艦船が横須賀に寄港している間に仕上げなければならず、
一日に4~5人のペース(現在は10~20日前後の日程が掛かります)で描いていたといいます。
1ドルが360円もした時代から世は移り変わり、現在では日本人が主なお客さま。
最近では恋人や両親へのプレゼント用に依頼に来る若者も増えています。
また愛犬や愛猫、馬の絵の注文も少なくないとか。
(イトシノヨコスカHPより抜粋)


此の段差が
元の地形~

※大正期~昭和期の初めのビル
我が母校の校舎思い出しますわ。

背高ビル
デザイナーズブランドでしょうか?

※汐入駅近く


OPEN
街角アート

※街自体がアートのようです。
急な坂道駆け上ったら今も海が見えるでしょうか~
(山口百恵 横須賀ストーリーより)


ええ感じの階段あります。

上ったら~
公園です。

※見晴らしの良い
小高い丘だったんでしょうね。
明治天皇横須賀行在所阯碑
聖跡碑
前にも大阪で~

明治天皇誤駐碑
東郷平八郎元帥揮毫

※急な坂道~

明治四年
明治天皇が来られたとか

※明治は遠くなりにけり
今は海も遠くに成って~

開発の大波も~

※道端の髭題目

緑ヶ丘急傾斜地崩壊危険区域
昔の段丘が危険地区。。。

※手摺のある
和家屋~正月景色

金龍 大黒湯さん
タイル芸術ですね。

※ニューヨコスカホテルが突き当り

大黒湯さん
効能~

※港町の裏路地の
文字が似合います。

危険
901の部屋

※飲み屋街

此のさり気ない
タッチが好きです。

※文字は
あまり良くない意味のようなので
ボカしてます。

書いたのは
同じ人ですね~

※どなたでしょうか?
会ってみたい!
 
此の絵は前に撮ってました。
ナイフが物騒~

こちらは違う人!
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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