古/いにしえの面影       其の九百弐拾四

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年10月09日 土曜日
アップ日  2013年06月25日 火曜日
京都府南丹市園部町竹井(摩気神社)
 
彼岸花の季節
でも、一日雨です~
雨女の家内と…

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

怪しい親爺でも来ました。

此の石灯籠が
参道の目印

※刈り取られた田と
霧がかかった山々

南丹市園部町の最西端、胎金寺山の北麓に北面して鎮座する。
宮本(鎮座地)である竹井集落を始め、篠山街道沿いに広がる周辺集落共通の氏神として
近世以来「摩気郷十一ヶ村の総鎮守」と称されている。
茅葺の覆屋内に鎮座する本殿・東摂社・西摂社は京都府指定文化財で、
境内は京都府文化財環境保全地区に指定されている。
その趣から、京都で撮影される時代劇のロケ地としてたびたび使用される。
なお、社殿が北面する丹波地方唯一の神社としても知られる
近世には、宮本である竹井村の他に近郷諸村の共同の氏神とされたため
「摩気郷十一ヶ村の総鎮守」とも称されていた。

近世の村単位だと宮本の竹井村が篠田、摩気、上新江の3村に分かれていたように
(上新江村は当神社祭礼に関する場合、更に今井、辻田の2村に分かれた)、
他の集落も複数の村に分かれており、総鎮守とした村は都合19個村にも及んでいた。
「十一ヶ村」の称には符合しないが、当社の氏子集落には別に
村単位の氏神が合計11社あってそれらを当神社の末社として位置付けていた。
そのことから、この場合の「十一ヶ村の総鎮守」とはその11社の上位に位する総氏神という意味である。
また、「摩気郷」という郷名は史料に確認できないので地域的な通称と思われるが、
祭祀圏が周辺村落に展開されていた点に極めて中世的な姿が認められることから
中世に遡る広域名称であったことが想定できる。
この地域が藩政時代にあって園部、亀山両藩に分かれながらも藩政の枠を超えて
共同で祭祀を担当していたこともその一証とされる
(Wikipediaより)


※正面から~

式内大社
摩気神社




国旗掲揚台

参道と右側に
宮司さんが住まれています。



創祀一二〇〇年記念
平成13年

※石段も奉納されています。

石畳も~


神門が~



寧威(?)

※雨に濡れた覆屋が~

神門の記



裏山への道~

※木彫はシンプルです。

社務所

※手水舎

絵馬堂

※奉納絵馬
何の踊りでしょうか?

昭和3年 大禮使御用
帝国在郷軍人会摩気村分会

※精華



※吽

 派手な狛犬やなぁ~と思ったら。
名人丹波佐吉さんの作なんですね。

※拝殿社と覆屋の在る本殿社

正面から~



摂社

※可愛い鬼瓦

拝殿の屋根裏格子は
凝った造り。



摂社
左から
才の神
琴平神社
山王神社
稲荷神社

※竈

摂社かと思えば
神宮遥拝所



東摂社
左札左から
山王大神 下胡摩村
八幡大神 大坪村
八幡大神 西山村

右札左から
恵比須大神 下新江村
八幡大神 舟坂村
■木大神 北八田村

※拝殿社

全体に彫刻はあっさり目

※献灯
一間社杮造り

本殿社正面

※可愛い目の龍
雲?薔薇?椿?

拝殿社
背面から

※本殿社間の取り合い

西摂社
左札左から
月読大神 志和■村
若宮大神 下横田村
三輪大神 上横田村
右札左から
加茂大神 大村
熊野大神 黒田村
菅原大神 宍人村

裏側軒下

※裏側ですな。
土壁は後ろにも廻らせてる。

静かな境内
雨音だけが~

※取り合い部
社紋は五三の桐

山門から

※見返れば~

お邪魔しました。

※小字流田
水との戦いがあったんでしょうね。
大きな御家

綺麗な茅葺屋根
前にも

※此の辺りは
ドラマや映画の撮影にも
使われるそうで~

摩気橋
と自然石灯篭

近くの茅葺屋根~
エエナァ。。
前にも
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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