いつもの如く
金曜日夜に出発し~
夜中の宴会。。
※朝焼けの中~
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路線バスも
始発は未だです。
※散策路脇の名も無き墓標
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紀伊大島の朝日
※遠く沖合には~
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灯台の方に向かって散歩していると…
昔、教科書に乗っていた事件のことが…
600馬力の木造船。。
自動車でも、今では此のくらいの馬力が有るでしょうね。
※平時国際活動発祥の地碑
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日赤沿革
1877年(明治10年) - 前身の「博愛社」創立
1886年(明治19年) - ジュネーヴ条約に加入
1887年(明治20年) - 「日本赤十字社」に改称 当時の標章は日章の下に赤線一本
1888年(明治21年) - 磐梯山噴火で世界初の平時救護(それまでの赤十字社の活動は
「戦時救護」のみ)活動・日赤初の災害救護活動でもある。
1890年(明治23年) - オスマン帝国特派軍艦のエルトゥールル号遭難事件に際して救護班を派遣する。
(Wikipediaより)
※ヤブツバキの花が
咲いてました。
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平時な静かな海も~
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多くの命を奪ってしまった岩礁
※磯釣りの良場
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トルコ軍艦遭難慰霊碑
串本の姉妹都市であるトルコのメルシン市にも
同じ碑が建てられているとか。
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岩礁「船甲羅」とトルコ軍艦遭難慰霊碑
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トルコ軍艦遭難慰霊碑
エルトゥールル号が遭難した明治23年当時、地元樫野の島民は献身的な救助活動を繰り広げ、引き揚げられた遺体は、
救出され一命を取り留めたハイダール士官立ち合いのもとに、
遭難現場である船甲羅岩礁を真下に見下ろす樫野埼の丘に埋葬されたと伝えられています。
翌、明治24年3月、和歌山県知事はじめ、有志の義金により、墓碑と追悼碑が建立され、併せて追悼祭が行われました。
後に、昭和天皇の樫野埼行幸(昭和4年)を聞いたトルコ共和国初代大統領の
ケマル・アタチュルクが新しい慰霊碑を建立するこ事を決定し、和歌山県が委託を受け、
現在のような立派な弔魂碑に改修されましたが、
墳域設定に際して、大島村民は樫野埼灯台南東約300㎡のこの広場(面積746㎡)を提供いたしました。
そして、天皇行幸8周年記念日に当たる昭和12年6月3日、除幕の日を迎え、
今日もなお熊野灘沖を行き交う船舶を見守るかのように、樫野の丘にそびえ立っているのです。
(串本町観光協会HPより)
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弔魂碑
※日土貿易協会建
昭和4年碑
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トルコ軍艦遭難慰霊碑
建立の為の有志銘
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燈台散策道から
古座方面望む
※紀伊山地の山々が重なって~
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樫野埼灯台
明治3年(1870年)6月に初点灯、石造り・閃光灯の灯台として
日本最古のものである。設計と建設指導はイギリス人技師
リチャードヘンリー・ブラントンによって行われた。
灯台のまわりに群生する水仙は、外国人技師たちが異国での孤独な生活を
慰めるために、本土から取り寄せ、移植したものといわれている。
(看板より)
※ムスタファ・ケマル・アタテュルク像
ググッたら…
柏崎のテーマパーク「柏崎トルコ文化村」が経営難で閉園に。
その際、「トルコから寄贈された“建国の銅像”」を含む、跡地、建物、構築物が一括で売却され、
野ざらしになっていた。
その後、トルコ大使館が送料手数料負担で
和歌山県串本町に移動させたいらしい。
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紆余曲折は有ったものの
落ち着けるところがあったのは嬉しい事ですね。
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御行幸碑と
アコウの木
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昭和天皇の樫野埼行幸(昭和4年)
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樫野埼灯台
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頑張って、海の安全を守ってくださいね。
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トルコ軍艦エルトゥールル号が遭難し、その救出の舞台ともなった樫野埼の官舎。
1970年(昭和45年)に同灯台は無人化自動点灯となり灯台守が常駐していた官舎はその役目を終えました。
日本最古の石造灯台官舎として平成15年に同官舎が国指定登録有形文化財に登録されました。
平成22年の改修工事は、過去の資料に基づいて当時の雰囲気を再現。
外壁は漆喰塗りが施され、建具や窓枠には「木目塗り(油性や水性のペンキを使用し、筆やヘラを用いて木目を描く技法)」も
再現されています。また改修工事では「保存を目的とした修理」を方針とし、建築当時の木目塗りも残されております。
(串本町観光協会HPより抜粋)
この時、改修中でした。。
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燈台から周りを一望して~
此処も釣りしてます。
散策路からは、地磯に下る小道が有ります。
※紀伊田原方面
那智の山々も~
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航空自衛隊
串本分屯基地レーダードーム
※鯨で有名な太地の崎も~
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海金剛
鷹ノ巣岬の断崖下の海面から荒々しく切り立つ巨岩が連なる海岸線をいう。
(Wikipediaより)
水仙の花が白く白く~
※海金剛の反対側(紀伊半島側)も
切り立つような磯場が…
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お土産物屋さんの「夢の大島」
前ではニャンコが
お出迎えしてくれました。
※紀伊大島の名物ニャンコ
ワイン嬢だそうです。
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1999年に大島大橋が出来たそうです。
※串本漁港
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